8)ヴェネツィアのフロイト

 精神分析の父であるジークムント・フロイト(18561939)も、イタリアにかかわりの深い人物であった。『フロイトのイタリア』(平凡社刊・2008)を著した岡田温司氏は、「精神分析はイタリアで生まれた、とまでは言い切るのはさすがに勇気がいるとしても」という前提の上で、フロイトの思想と精神分析の理論の形成において、深くイタリアがかかわっていたとして同著の中で、彼とイタリアとの関係を論じている。比較的短い滞在まで含めると、優に20回を越えるイタリア訪問を果たしている。中でも、「1895年の最初のイタリア旅行がヴェネツィアだったというのは、おそらく偶然ではないだろう」と述べている。

 同書では、比較的長い期間を費やした18回のイタリア旅行について詳細なリストが掲げられているが、それによれば

1回は、弟のアレクサンダーを伴って1895年8月23日から9月2日

第2回は、同じく弟を伴っての1896年8月30

3回は、妻マルタを伴って1897825日から9月18

4回は、ふたたびアレクサンダーを伴っての18984月8日から11

第5回は、ヴェネツィアには立ち寄らず、

第6回の1898年は、単身で910日に1日だけ滞在している。

 その後、78回目は、ヴェネツィアによらず、第9回目のアレクサンダーを伴っての長期にわたるイタリア旅行では、1902年8月27日から29日と、9月14日にヴェネツィアを訪れてはいるが、その後は、最後のイタリア旅行となる18回目の192391日から21日にわたる娘アンナを伴っての長いローマ滞在に至るまで、ヴェネツィアを訪れることはなかった。

 第1回の訪問の時から、彼は時間を惜しむかのように、迷路のような運河の街を散策している。妻に送った手紙には、次のように書いている。

 「どんな人でも混乱させるヴェネツィアのために、あまり多くのことをかき送ることができないほどだ。・・・午前中はリド島にわたって、二十分のほど水浴した。・・・

フラーリ聖堂とクスオーラ・サン・ロッコを訪ね、ティントレット、ティツィアーノ、カノーヴァの作品を心ゆくまで楽しんだ。広場にカフェ・クアードリには四回も立ち寄り、手紙を書き、買い物のために交渉に取り掛かった。二日がまるで半年にも思えるほどだ。」(八月二七日付け)(岡田温司『フロイトのイタリア』平凡社・刊)

 まるで、中学生か高校生がテーマパークにでも来て、終日遊び回ったかのようではないか。テーマパーク好きのリピーターがするように、フロイトもまた、ウィーンからイタリアへと南下するたびに、その途中のヴェネツィアに何度も足を止めさせるほどの魅力を持った街として彼の眼に焼きついたことは間違いないようだ。いや、ヴェネツィアのみならず、フロイトにとってイタリア半島の町々は、彼の精神分析にも大きな影響を与えているのではと、岡田氏は次のように推測する。

「その旅行が、ほぼ一八九五年から一九一三年のあいだに集中しており、しかもこの時期が、フロイトの思想形成、そして旺盛な執筆活動ともピッタリ重なり合うことを考えると、イタリア旅行と精神分析とのあいだには、何か因縁めいた関係があるのではないかと勘ぐりたくなるのも、理由のないことではない。」

 

 同著は、こうしたフロイトのイタリアへの足跡をたどりながら、彼の精神分析へのアプローチを分析していく論考として興味ふかい。