3)ゲーテのヴェネツィア

 ロッシーニがヴェネツィアで成功を収めていた頃(18167年)、ドイツの文豪ゲーテ(ヨハン・ヴォルフガング・フォン 1749-1832)は、約30年前のイタリア滞在を書き綴った『イタリア紀行』を出版している。30年も前のイタリア印象記を、この時期に出版した意図はどこにあったのかは不明だが、30年前といえば、ヴェネツィア共和国が崩壊する前であった。(ゲーテがヴェネツィアを訪れたのは1786年で、共和国が崩壊したのは1797年)少なくともわれわれには崩壊する前のヴェネツィアの様子が、ゲーテという偉大な文学者の目を通してかいま見ることができるのである。

 ゲーテが、パドヴァから乗合船(ブルキエッロ)に乗りブレンタ川を下ってヴェネツィアに降り立ったのは、1786928日の夕刻であった。彼はゴンドラに乗り換えてホテルに投宿している。「『イギリス女王』という旅館に気持ちのいい宿を取っている。聖マルコの広場方程遠からぬところにあるが、これがこの宿の一番の取り柄である」(相良守峯訳・岩波文庫)このホテルは、ポンテ・フゼーリの近くにあり、のちにヴィクトリア・ホテルと改称されたが、現在では高級婦人服を販売するブティックとなっている。その建物の外壁に「ゲーテが1786928日から1014日まで滞在した」ことを記したプレートが付けられている。

 ちなみに、このホテルにほど近い場所に、その十数年前(1771.2.113.12)にモーツァルト父子が滞在した場所(バルカローリ・クオリドーロ橋チェゼレッティ邸)があるのも偶然とはいえ興味深い。

ゲーテは、ヴェネツィアにほぼ半月ほど滞在したが、その間、リド島やキオッジャまで足を伸ばし、また多くの劇場で演劇を楽しんでいる。とくに自ら芝居を書いていたゲーテは、しばしばサン・ルーカ劇場(現在のゴルドーニ劇場)に通い、当時人気があったゴッツィやゴルドーニの芝居を楽しんだと思われる。1010日にはゴルドーニの芝居を見て「これでやっと喜劇を見たということができる」と日記の中で述べている。またゲーテは、とくにヴェネツィアの建築に興味を示し、中でもパラーディオの設計になるレデントーレ教会やカリタ修道院(現アッカデーミア美術館)をはじめ、ロンゲーナの設計になるメンディカンティ教会(現サンタ・マリア・デレリッティ教会)などを訪れている。

 ゲーテは、半月ばかりのヴェネツィア滞在で、その感想を次のように述べている。

「私はヴェネチアにごく短い期間しか滞在しなかったが、それでもこの地の生活を十分にわが物とし、たとい不完全ではあるにしても、しかしまったく明瞭でかつ真実な概念を携えて去るのである。」(相良守峯訳『イタリア紀行・上』岩波文庫)

 

 その言葉通り、ゲーテはわずかな期間に建築物から芝居やオペラまで、実に精力的にヴェネツィアの迷路を歩き回ったのである。