1)ディケンズのヴェネツィア

 ゲーテからスタンダール、バイロン、ミュッセなどヴェネツィアを訪れ、この地に限りないオマージュを捧げた文学者は数多いが、『二都物語』や『クリスマス・キャロル』で有名なイギリスの作家チャールズ・ディケンズ(18121870)もまた、ヴェネツィアへの旅でユニークな紀行文を残した一人である。

 1844年、家族とともにイタリアに向けて旅立った32歳のディケンズは、フランスを経由して、イタリアにはアヴィニヨンをへてジェノヴァに入り、ここを起点としてパルマ、モデナ、ボローニャ、フェッラーラ、ヴェネツィア、マントヴァ、ミラノを回遊し、いったんスイスに出て、ふたたびピサ、シエナ、ローマ、ナポリ、フィレンツェなど、ほぼイタリアの主要なまちまちを約1年間かけて周遊したのである。その時の印象を2年後にまとめたのが『イタリアのおもかげ』と題した紀行記である。

 ディケンズは、親友のジョン・フォースター(1812—1876)宛の手紙の中で、ジェノヴァとヴェネツィアとフィレンツェをイタリアの三つの偉大な都市といっている。中でも、ヴェネツィアに関しては、ヴェネツィアの歴史や異端裁判所、地下牢など細かなところまで言及している。さらには自らがゴンドラに乗った際の水のイメージの印象は強烈だったようだ。

 そのため『イタリアのおもかげ』では、それぞれが訪れた都市の名が冠された紀行文となっているが、なぜかヴェネツィアだけは「ヴェネツィア紀行」ではなく、<イタリア幻想>というサブタイトルをつけられている。紀行文というよりは自らの心象風景を夢物語として、他の章とは異なった独特の文体で幻想的に描いているのが注目される。

 

・・・絡み合ったような数多の小舟と艀の間を、巻きつくように曲がりくねるように進み、ついに<大運河(グラン・カナル)>へと勢いよく進んで行く!そこで、私は、とりとめもなく浮かんでは消える夢の空想の中で、老シャイロックが橋の上を右往左往しているのを見た。その橋の上は店が立ち並ぶ造りになっていて、人々の話す言葉でざわめいていた。デズデモーナと思しき人の姿が、花を摘み取るために、格子造りのブラインドを通して身体を前屈みにしていた。そして、夢の中、シェイクスピアの亡霊が、こっそりと都市(まち)を抜け出して、どこかの水上にいる、と私は思った。

・・・このように小舟は私を乗せてそこから遠ざかり、私はヴェローナの古い市場で目を覚ました。あれから幾度となく水上のこの不思議な<夢>のことを思った―——

それは今もそこにあるのだろうか、その名は<ヴェネツィア>と言うのではないか、という思いがふと頭を掠めながら。

(ディケンズ『イタリアのおもかげ』伊藤弘之・下笠徳次・隈元貞広訳・岩波文庫)

 

 

 さすがイギリスの作家だけに、ヴェネツィアを舞台としたシェイクスピアの作品から、その人物の幻を夢想させているのも興味深いところだ。