ドイツの擬古典主義の詩人プラーテンの名を知る人は、今では少なくなっているだろう。アウグスト・フォン・プラーテン(1796-1835)は、生まれはハイネとほぼ同世代、亡くなったのはゲーテと同じ頃という人で、晩年(といっても30代だが)はイタリアに魅了され、同地に定住しシチリアで亡くなっている。とくに以下の『トリスタン』の詩が有名である。これまた若くして投身自殺した生田春月(1892-1930)の訳によって、一時期人口に膾炙した。
「トリスタン」(生田春月・訳)
美(うる)はしきもの見し人は
はや死の手にぞわたされつ、
世のいそしみにかなわねば。
されど死を見てふるうべし
美はしきものを見し人は。
愛の痛みは果てもなし
この世のおもひをかなへんと
望むはひとり痴者ぞかし、
美の矢にあたりしその人に
愛の痛みは果てもなし。
げに泉のごとも涸れはてん、
ひと息ごとに毒を吸ひ
ひと花ごとに死を嗅がむ、
美はしきもの見し人は
げに泉のごとも涸れはてん。
注意深い読者であれば、冒頭の部分が堀田善衛の美術エッセイ『美しきものを見し人は』のタイトルとして援用されていることに気づくだろう。
プラーテンは、1824年イタリア周遊の旅に出かけた。その途次ヴェネツィアを訪れた時に印象から生まれた『ヴェネツィアのソネット』と題した4編の詩によって、今なお歌い継がれている。
「ヴェネチアのソネット」1
おんみの愛が私の胸を引き裂く と
ついもだしもあえず 私が口にするとしても
いぶかしみの心をおこしたもうな
美の領するところ 愛もまたやどるものゆえ
私は知る この思いの衰える期(とき)もないのを
ヴェネチアへの思いとそれは 分かちがたくもつれあい
たえ間なくわが胸から吐息(といき)は立ちのぼる
なかばしか花ほころびぬ 春へむかって
どうして一人の外国(とつくに)びとが おんみに感謝したらよいだろう
よしやおんみが 心やさしく彼を迎えて
豊かな幸福へ 彼をいざなわれたところで?
おんみに近づく手だてが どこにある?
ああ夜ごと サン・マルコの広場の上を
わが足は ひとりさびしくよろめいて行くのだ」
『詩集』(川村二郎訳、世界名詩集大成6巻ドイツ1、平凡社)
また、トーマス・マンの『ヴェニスに死す』の中で、主人公の作家アッシェンバッハが「あのゆううつで熱狂的な詩人のこと」を思い出した、としているのは、まさしくこのプラーテンのことである。詩の訳者の川村二郎が述べているように「独特の同性愛的美の傾向に支えられた美への熱狂」への共感が、マンをして、アッシェンバッハの人物像に投影させたのではないか。